2023/01/26
なぜ市会議員になろうと思ったのですか?
【なぜ市会議員になろうと思ったのですか?】
「誰もが輝ける社会の実現を」
私の母は、37歳の時に左半身不随になり、障がい者となりました。
当時の私は、4歳でした。ある日突然始まった、障がい者家族としての生活。
今まで感じなった「不便」と「不自由」が、そこにはありました。
家の隣には、コンビニエンスストアがありましたが、わずかな段差や傾斜が怖いと言って、母は1人で買物に行くことができなくなりました。
障がい者になる前は、母も毎日普通に歩いていた道。以前は、平らにしか見えなかった道なのに…「5m先のコンビニに行くのを諦める社会」そんな社会が、決してあってはならないと、当時の私は思いました。
母が障がい者となってから35年後、私は京都市議員になりました。
当事者としての視点を活かし、都市のバリアフリー化、ユニバーサルデザインの推進、障がい者支援、ヤングケアラー支援等、様々な提言を行い、政策実現に繋げています。
真に支援を必要とする人にとって、政治は「光」であって欲しいと心から願っています。
「政治の最大目標は、国民の最大幸福である」
「政治は国民の生活を、平等・公平に照らす明るい光である」
市民福祉の向上を目指し、今後も地道に活動を継続してまいります。
皆様の旧に倍するご指導ご鞭撻を賜りますよう、心からお願いを申し上げます。
京都市会議員 豊田恵美(とよだえみ)
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私が市会議員として、特に力を入れて取り組んできた政策のひとつが、障がい者政策です。
地道に活動を続ける中で、同じ想いを持つ方々との素晴らしい出会いがありました。
今日はサポートマーク普及協会の皆様、エシカリングジャパンの皆様と、zoomでご意見交換をさせて頂きました。(京都、横浜、神戸、姫路)
助けてほしい気持ちを表す「ヘルプマーク」
助けたい気持ちを表す「サポートマーク」
双方の気持ちが繋がれば、社会はよりよく豊かになると信じています。
私からは、京都市の障がい者施策を知って頂き、身近なところから「心のバリアフリー」に取り組んで頂きたいと、皆様にお伝えをさせて頂きました。