プロフィール

松下 恵美(まつした えみ)

松下 恵美(まつした えみ)
左京区岩倉在住 43歳

人口減少、少子高齢化が進む社会では、女性の活力・政治参加が必要不可欠です。「子どもの貧困」「ひとり親支援」「DV被害者支援」「性被害者支援」等、女性の視点で解決に導くべき社会的課題は山積しています。
女性の社会活躍と政治参画により、社会はよりよく豊かになると確信をしています。

働く母親のひとりとして

私は、市会議員として仕事をしながら、子育て(長女・小学5年生)に励んでいる、働く母親のひとりでもあります。結婚・出産により、女性の人生観は大きく変わります。

大事な日に限って熱を出す娘…。子どもの病時、通園や登校はできず、預け先がなければ、母親は仕事に行くことができません。病児保育の充実、ショートステイの拡充等、女性が社会で活躍しながら、結婚・出産・育児と両立できる社会の実現に向け、働く母親としての声を京都市政に届けます。

母が左半身不随になり、ヤングケアラーに

私が4歳の時に母が左半身不随になり、幼少期から家族介護を経験しています。当時の母は37歳でした。実家の隣にはコンビニエンスストアがありましたが、歩道のわずかな傾斜や段差が怖くて、母は1人で買い物に行く事ができませんでした。

「5m先のコンビニに行くのを諦める社会」

そんな社会があってはならないと、私は考えています。都市のバリアフリー化、ユニバーサルデザインの実現、障がい者支援、ヤングケアラー支援等、当時者としての経験を、政策実現に繋げます。

真に支援を必要とする人にとって、政治は「光」であって欲しいと心から願っています。

「誰もが自分らしく輝ける社会の実現」を目指し、女性の視点で提言を行い、様々な領域で沢山の政策を実現してきました。

ひとり親支援、子どもの貧困対策、不登校児支援、DV被害者支援、性被害者支援等、当事者としての経験を、政策実現に繋げます。

これからも市民の代表として、市民生活の声を、行政に届け、地道に懸命に働きます。

皆様の温かいご支援を承りますよう、心よりお願い申し上げます。

昭和55年 京都市生まれ
平成4年 京都市立宇多野小学校 卒業
平成7年 京都市立双ヶ丘中学校 卒業
平成10年 京都府立嵯峨野高等学校 卒業
平成14年 大阪経済大学 経営学部 経営学科 卒業
平成22年 同志社大学大学院 ビジネス研究科 修了(MBA)
令和元年 京都市会議員(1期目)
令和5年 京都市会議員選挙 惨敗
現在 地域活動を継続中

政治信条

政治の最大目標は、国民の最大幸福である。政治は、国民の生活を平等・公平に照らす明るい光である。

地方議員の役割について

政治の本質は民意であり、地方議員の問題意識は民意の中から抽出されるべきである。

京都市政について

独断専行ではなく、合意形成を怠らず民意的に運営されるべきである。

性格

長所 真面目で誠実、何事も最後まで諦めない、温厚、高い協調性

短所 問題意識を持つと、解決策が見つかるまで際限なく考え続けてしまう所

生い立ち

  • 4歳 母が左半身不随になり、ヤングケアラーになる

    私が4歳の時に、母が能脳卒中で倒れ、左半身不随になり、障がい者となりました。
    当時の母は、37歳でした。
    ある日突然始まった、障がい者家族としての生活。
    今まで感じなった「不便」と「不自由」が、そこにはありました。

    家の隣には、コンビニエンスストアがありましたが、
    わずかな段差や傾斜が怖いと言って、母は1人で買物に行くことができなくなりました。
    障がい者になる前は、母も毎日普通に歩いていた道。
    以前は、平らにしか見えなかった道なのに…

    「5m先のコンビニに行くのを諦める社会」
    そんな社会が、決してあってはならないと、私は考えています。

    母が障がい者となってから35年後に、私は京都市議員になりました。
    当事者としての視点を活かし、都市のバリアフリー化、ユニバーサルデザインの推進、障がい者支援、ヤングケアラー支援等、様々な提言を行い、政策実現に繋げています。

    障がい者になり、母が歩けなくなった歩道 障がい者になり、母が歩けなくなった歩道


    京都リサーチパークで官民連携の「心のバリアフリーセミナー」の開催が実現しました。 京都リサーチパークで官民連携の「心のバリアフリーセミナー」の開催が実現しました。

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  • 27歳 同志社大学大学院ビジネススクールに進学

    MBA取得を目指し、 同志社大学大学院ビジネススクールに進学しました。在学中は、人生観を変える素晴らしい出会いが、沢山ありました。卒業後も、様々な科目で教授のアシスタント業務を担当させて頂いています。 MBA取得後も、博士号取得を目指して、 後期課程(同志社大学大学院総合政策研究科)に進学し ています。新川達郎同志社大学名誉教授の指導のもと、市民主導で社会的課題を解決するソーシャルイノベーション研究を行っています。

    発起人となっている 日本ソーシャルイノベーション学会の設立総会。 発起人となっている 日本ソーシャルイノベーション学会の設立総会。

  • 31歳 長女を出産し、仕事と育児の両立に限界を感じる

    出産前日まで仕事をし、産後1ヶ月から仕事復帰をしました。
    仕事と育児の両立は、想像していた以上に厳しいものでした。
    大事な日に限って、熱を出す娘…。
    子どもの病気時、子ども預け先がなければ、母親は仕事に行くことができません。
    仕事と育児の両立に限界を感じ、2人目の出産には進めませんでした。
    病児保育・夜間保育の拡充等、当事者としての経験を、政策実現に繋げてきました。

    幼稚園入園(4歳)まで、娘を連れて仕事をしていました。 幼稚園入園(4歳)まで、娘を連れて仕事をしていました。

  • 39歳 京都市会議員に初当選

    子育て期の女性が、仕事と育児の両立を果たせる社会の実現を目指し、市会議員に立候補しました。立候補時、娘は小学校1年生でした。
    初登庁の日に、娘は高熱を出しました。「お母さん、仕事に行かないで」と言われた時の胸の苦しさは、今でも忘れることができません。仕事に力を注ぐと、必然的に家庭で過ごす時間は減り、今まで以上に仕事と家庭の両立を難しく感じるようになりました。
    男女共同参画社会の実現は、女性だけではなく、家庭内の男性の役割も非常に重要であると、心から感じています。当事者としての経験を、様々な政策提言に繋げています。

    39歳 京都市会議員に初当選

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  • 43歳(現在)誰もが輝ける社会の実現を目指し活動中

    人口減少、少子高齢化が進む社会では、女性の活力・政治参加が必要不可欠です。女性の視点で解決に導くべき社会的課題は山積しており、女性の社会活躍と政治参画によって、社会はよりよく豊かになると確信をしています。

    苦しみの中で、誰もが求めるのは、「救済」や「支援」。
    支援を必要とする人にとって、政治は「光」であって欲しいと心から願っています。

    京都市の「新しい未来」を創造する。

    政治の主役は、私達市民ひとりひとり。
    これからも、市民の皆様と「一緒」に、京都市の未来を創造していきたいと考えています。

    市民福祉の向上を目指し、これからも地道に懸命に働く所存です。
    皆様の旧に倍するご指導ご鞭撻を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

    43歳(現在)誰もが輝ける社会の実現を活動

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